4月14日のブログ ↑ のつづきです。
中源線の売買における現実的な裁量は、単純な見送りです。
中源線が陰転した、買いポジションは切る、しかしドテン売らずにポジションゼロのまま静観する、といった対応です。あるいは、ドテンしたあと早めに切って、ポジションゼロにする“準見送り”です。
いずれも、「法示よりもリスク量を減らす」裁量です。
なんだかワクワクせず、「そんなのつまらない」と感じるかもしれません。
でも、たったそれだけのことでも、やってみると意外と難しいものです。
陰転したけど下がるとは思えない……「買いポジションを切るだけで売りは仕掛けない」と決めて実行したとします。
読み通りの展開で、例えば静かな保合から短期間のうちにスルッと陽転したら、「よし!」という感じでストレスなく買い出動、シグナル通りのポジションに戻れます。
でも、もしもズルズルと下げていったら……「売っておけばよかった」と後悔しながら、「ここから売ろうか」などと考えはじめるかもしれません。
裁量で見送った、ポジションが中源線と異なる状態になった──そのあとの展開はさまざまなので、あらゆる値運びを想定し、自らの対応(裁量のあとの裁量)をビシッと決めておく必要があります。
少しでもユルさがあると、混乱を招きます。
シンプルなのは、「下がっても売らない」「次の陽転で買う」といった作戦ですが、裁量を入れて「自分」を出す以上、型にはまろうとするよりも、ガツンと相場観を具現化するべきです。
となると、刻一刻と変化する相場の状況によって自分の考えも変わっていくことを容認するべきか──なんて深い世界に入るでしょう。
だから難しい、だからこそビシッと決めておく姿勢が大切なのです。
裁量を入れているつもりが「ド裁量」、要するに、その場の気分だけで決めている、というか「決めきれずに揺れ動く」状態になってしまうのが、ある意味、当然です。
豊かな想像力をもつ人間ゆえの“弱さ”だと思うのです。
でも、「心を強くする」なんて発想で取り組んでも、効果はゼロだと思います。
滝に打たれて修行したら、それはそれでプラスになるかもしれませんが、相場の利益には直結しません。
もっと単純に、株価を見るときの姿勢をひと工夫すればいいはずです。
私たちは、つい過去を見てしまいます。
いや、未来のために、過去を振り返るのは大切なことですが、トレードにおける「次の一手」を考えるときに過去を見て、「あぁ、あの時に切っておけばよかった」とか「仕掛けるべきではなかったのか……」といった考察は、はたして適切な振り返りなのか、意味のない後悔なのか、独りで考えるので区別がつきにくいのです。
ここで、ちょっと自分に厳しく、「1秒前に戻れないのが相場だ!」と考え、「これから先を考えるんだ!」「今のポジションは維持するの? なにか変化させるの?」という具合に、「未来だけを見る」よう努めるのです。
習慣を変えるために少しだけ頑張る必要がありますが、いったん未来に目が向いたら、混乱が減る分、ラクになるはずです。
ちなみに、「現在」も「過去」です。
現在のポジションは、もう変えることができません。だから過去──グッと力を入れて「未来だけ」を見るようにすることが大切だと思います。