転換に逆らってはダメ | 株式投資「虎の穴」

いつでも先のことなどわからない状況で、自分なりの想定(予測)をもとにポジションを取る──落ち着いて考えれば、これが相場という行為です。

でも、その予測を「当てたい」「当たってほしい」と考えるのが人情。

そして、苦しいときにこそ、ムリに「当てようとする」のも人間の心理です。

中源線が転換したとき、「その転換が当たるかどうか」を当てたいと考えます。

でも、それはムリなのです。

 

では、「自らの創造性を発揮する」には、どんな方法があるのか?
今回は、相場の機微を取り上げて深い考察を行います。


相場の状況は刻一刻と変化し、思わぬところで機敏な対応を迫られます。
とはいえ、単純化すると「売りと買いだけ」です。

実践する側が勝手に複雑なものにしているケースが、とても多いはずです。

中源線の、いわゆる勝率は平均して50%を下回るので、「当てたい」という発想も当然の心理で、これ自体は否定すべきものではありません。

でも、前述したようにムリなのです。

買いポジションがある状態で中源線が陰転した、でも下がるとは思えない……。
自分の“読み”に自信があれば、ドテン売りをせずに買いポジションを維持したくなります。いや、それほどの自信がなくても、やってみたくなります。

でも、中源線を見ながら、中源線の法示(シグナル)と逆のポジションを取るのは、「ド裁量」と呼ばれて否定されるキケンな行為です。

中源線が陰転したのに買いポジションを維持する──その対応が当たればいいのですが、結果的に中源線の陰転が当たってどんどん下げていったら、どうしますか?
完全に“次の一手”を見失ったままフリーズし、「上がってくれ~」と願うだけの状態に陥る可能性大。これがコワいのです。

中源線シグナル配信だけを見ていると、いろいろな裁量を思い浮かべながら、1回ごとの当たり外れを気にする感覚が強くなりがちです。
しかし、中源線は、「当てることを放棄している」かのごとく、ムリに条件を重ねることなく、3分割のポジション操作によって値動きの波間を泳いでいこうとします。
その中源線を利用しているのに、中源線のこだわりである「当てることを放棄する」姿勢を否定したら、混乱しか生まれないのが道理です。

実践していると、目の前のことに集中する時間が多くなりますが、あえて時間をつくり、『新版 中源線建玉法』をゆっくりと読み返してみてください。


実践家の性(さが)としてやりたくなることについて、なにがOKでなにがダメか、少しずつ、着実に整理されていくでしょう。

―つづく―
 

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