昨日のブログ ↑ では、ありがちなミスを挙げましたが、「一般的な知識が重要なのではない」ということが大きなポイントです。
例えば、国際感覚という言葉から「英語力」を思いつくのは誤りだと思うのです。
英語を話す=国際感覚がある、というなら、英語を母国語とする約4億人、第二言語や外国語として英語を使える人、約11億人、これらが全員「国際感覚が豊か」ということになってしまいます。
たとえ日本語しか話せなくても、価値観や文化的背景の異なる人たちと上手に交流する、あるいは交渉する感覚にたけている人はいるでしょう。その人の能力が役に立つのなら、通訳を用意してでも仕事を依頼したいというケースがあるでしょう。
日本語しか話せなくても人物的に魅力があれば、英語圏の人も通訳を連れて会いに来ると思うのです。
逆に、日本語も英語もビシッと話せたとしても、異国の価値観とか宗教観にリスペクトがなかったら、質の高い交流は望めません。
「大阪商人(あきんど)」という、ひとつのステレオタイプがあります。
まっすぐに本音を発信する、そんな姿勢をもつ人たちです。
東京の人間が勝手に誇張すると、例えば商店の人に道を尋ねてもツンケンしている、ところが100円の商品を買っただけで「まいどおおきに」なんて弾んだ声を出す。
他人とコミュニケーションを取る能力が高く、気持ちを正直に表現するあたりは、それこそ最も国際的に通用する感覚ではないでしょうか。
金融リテラシーの話に戻ります。
表面的な知識よりも、ふだんから「おカネの本質」を考える姿勢があるか否か、みたいなところが重要ではないでしょうか。
おカネがからむ誘いを受けたとき、一定の知識があるうえに詳細を調べる方法を知っているよりも、まっとうな話かどうかをニオイでかぎ分ける能力のほうが役に立ったりすると私は思うのです。
おカネのことをタブー視せず、家族、友人、同僚などと素直に意見交換するなど、ふだんの姿勢こそが「金融リテラシー」だと考えます。