酔っ払いでも大丈夫な基準 | 株式投資「虎の穴」

私たち人間は、合理的な基準ではなく「感情的な判断」を優先することが多いと思います。

男女は平等であるべきですが、感情や感覚の差異は否定できません。

一説によると、男脳は「問題解決」を目指し、女脳は問題解決やアドバイスよりも「共感」を求めるとか。
個人差があるのは当然ですが、傾向としては間違っていないように感じます。

男女を問わず、生身の人間である以上、その場の感触で情報を評価することも多いでしょう。
大手が発信する情報の多くは、内容ではなく、感情に刺さったり、とりあえず関心を引くよう上手に仕上げられていて、ついヤラレてしまいますよね・・・
 

投資ならば「銘柄情報」。

つい気になって目をとめてしまいます。

個人投資家は、なによりも、“生き残り”を第一にタップリと余裕のある「枠」を設定するべきです。

では、どれくらいの余裕があるといいのか──。


例えば資産家が、ポケットマネーで1億円のトレード資金を用意した状態を考えてください。
とてつもなく余裕があるのに、いつも100万円分しかポジションを取らないとしたら?
買った株が3倍に跳ね上がっても200万円の利益──増えるのはトレード資金のたった2%、総資産と比べたらスズメの涙です。
 

やる意味があるの?

いや、そもそもトレードと呼べるのか、ってことですよね。

ある程度“攻めた”ときの稼働率、「よし、ここだ」なんて感じたときに稼働させる限度はどれくらいなのか?

戦略によってちがいますし、銘柄や状況にもよります。

最後は、個人的な能力も関係するでしょうが、基本的には“値動きの激しさ”を考慮して安全な範囲を考えます。
ギクシャクせず思い切って行動できるよう、「枠」を設定しておくという発想です。

株を売買する、大切な資産をマーケットでリスクにさらす行為を、「酔った状態で歩く」ことにたとえて考えてみます。

酔っ払いは「酔っていない」「大丈夫だ」と言うのですが、ちっとも大丈夫じゃないのです。「儲かるだろう」「少なくとも大損はしない」などと考えているのに意外な落とし穴がある、そんなトレードの現実と似ています。

酔っ払って電車で帰る……階段では手すりにつかまるべきです。

万が一がありますから。
まちがっても線路に転落しないよう、ホームの中央を歩くべきです。

歩くのはホームの中央1メートル幅、というのは大げさです。
でも、ホームの端から2メートルくらいは空けておきたいところです。ころんだとしても、線路に落ちたり入ってきた電車にぶつかることがないように。

なにしろ、千鳥足で反応が鈍いのですから。

トレードを「酔っ払いが歩くさま」にたとえましたが、トレードをするときは酔っていません。

シラフで真剣勝負、真面目に丁寧に考えます。

しかし、相手にしている株価が、まさに“酔っ払い”のごとくフラフラと動くのです。
だから、私たちプレーヤーの行動は、以下のようにまとめることができます。

「どっちに動くか見当もつかないのに、あえて見当をつけてポジションを取る。そのために、値動きをパターン化して過去のデータと照らし合わせる……しかし、常に“新しい動き”があると考えて臨機応変に行動しようとする」

この、「新しい動き」「臨機応変」というところがポイントです。
同じように行動しようとしても、最初に決めた基準からズレていくのです。そのズレは少しずつ、かつ、自然に起こるので、渦中のプレーヤー自身はなかなか気づきません。

つまり、かなりの精度でトレードを実行していたとしても、「えっ」と思うような落とし穴があるということです。

ウサギとカメの競争は、愚直にコツコツと進んだカメが勝ちました。
「ウサギがさぼらなければ圧勝だったでしょ!」と考えるのが素直だと思うのですが、ウサギが真面目に一生懸命でも、ころんでしまったりコースを外れてしまったりする──これが、トレードにおける障害の現実だと思います。
 

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