中源線の判断と感覚的な判断 | 株式投資「虎の穴」

若者を中心に、冴えない日本を通り越して米国株を売買する投資家が多いようです。
証券会社の営業も、訳もわからず米国株を勧めているようです。
でも、彼らはまぎれもなく、「日本在住」で「日本円の資産を増やしたい」日本人です。

私は、日本の株がさらに元気になる近未来しか想像していません。
少なくとも、遠い世界での活動には抵抗があります。
大切なカネの問題なので、ラクに手が届く範囲で、十分に観察できる距離のものを対象に売買していくことが大切だと考えます。

値動きのブレが大きいと、中源線が想定する動きが出にくくなります。
ブレこそが利益の源泉なのに、ブレがあると嘆き苦しむ……おかしなものですが、そうした不合理な面を持ち合わせているからこそ「カネがほしい」と相場を張っているんだ、なんて哲学してみたりすることもあります。

株価が急落したとき、「ここが買い場か」なんてアイデアが浮かぶこともありますよね。
でも中源線は売り線のままなのでルールどおりに動かさずにいると、グイッと上昇した段階で陽転、ドテン買いの指示。


「やっぱり!」なんて地団駄を踏むのですが、これが意外と気のせいだったりします。

いろいろな可能性をさぐりながら値動きを見つめ、さまざまな対応策を頭に浮かべるのが人間の特性です。危険を避けて本能に従うだけの動物とは異なり、価値観を創造するからです。

だから、「もしかしたら」と思って外れた、そのとおりにならなかったことも数多くあるのです。

逆にいったときだけ悔しがり、その思いを引きずって増幅させるのはいけません。

ユニークなアイデアを思いつくのも私たちの能力なら、事実を曲げて「思いついていた」と思い込むのも、私たちが持ち合わせている能力だと思うのです。

だから、もの足りないと感じるほどシンプルでわかりやすい中源線のルールという存在が、そんな混乱を整理してくれる重要な物差しなのです。

ガマンと辛抱はちがいます。
ガマンなんてつづきません。
だから、ガマンをする必要は全くないのです。


大切にすべきは、オトナとして継続できる範囲の「辛抱」です。
積極的に「やろう!」と感じ、その思いを維持できる事柄です。

相場は、誰かとの直接対決ではありません。
明らかに競争ですが、マージャンやポーカーとちがい、目の前の人間と競って駆け引きもある、といったゲーム(ルールのある競争)ではないのです。

つまり、株価と向き合う自分自身、その自分自身を動かそうと試みる自分がすべてです。
ところが、その自分がブレるので、なにがガマンで、なにが辛抱なのかも、見えなくなったりします。

わからないものは「わからないよ!」と開き直るしかないのですが、内面の交通整理は重要です。


メンドクサイと思いますか?

いえ、ガマンでも辛抱でもなく、楽しんで考えることです。

考えるなかに、たまに辛抱に値する要素があるだけです。
 

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